こうのとりのゆりかご
熊本市にある慈恵病院には日本国内の病院の中で唯一存在するものがある。
親が育てられない赤ちゃんを匿名でも預かる「こうのとりのゆりかご」
いわゆる赤ちゃんポストです。
慈恵病院が「赤ちゃんの遺棄・殺人を防ぎたい」との思いから
熊本市が設置を許可して2007年に開設された。
こうのとりのゆりかごの現在
開設から17年が経過し、初期に預けられた赤ちゃんは現在思春期を迎える年齢となってきました。
救われた子供たちの命が、自らの生い立ちと向き合い始めている。
「母親の匿名性」と「子どもの出自を知る権利」の両立
この課題の両立が可能であるかという問題は残ったままになってしまうが、
慈恵病院は母子の安全な出産を確保したいと2021年に「内密出産」も導入した。
慈恵病院が24時間365日対応し、予期せぬ妊娠に苦悩する女性に寄り添う中から生まれた新たな取り組みである。
番組では、「ゆりかご」「内密出産」に取り組む慈恵病院の蓮田健理事長、慈恵病院で内密出産を行った女性、そして「ゆりかご」に預け入れられ成長した10代の少年を取材されている。
人が生きていくうえで「生い立ち」や「出自」というものがどのような影響を与えるのか、それぞれの当事者の話から解き明かしていくとともに、「ゆりかご」の扉の先にある子どもたちの未来を考える人々の姿に迫る番組である。
最近の利用状況
熊本市は「こうのとりのゆりかご」に、2023年度は9人が預けられたと公表しました。
2007年の開設からの累計は179人となりました。
2023年度に預けられたのは男児が4人、女児が5人。
生後1カ月未満の新生児が7人で、うち4人は生後7日未満だったそうです。
出産場所は自宅が4件、医療機関が3件、不明が2件。
父母らの居住地は中部、関東がそれぞれ2件、熊本県内が1件、不明が4件。
孤立出産や出産直後の長距離移動など、母子の健康に危険が伴う課題が残されているという。
開設から17年を数え、預け入れられた子どもたちが自らの出自を病院に尋ねることも増えてきた。
病院と熊本市は「出自を知る権利」に関する検討会を設置し、問題点の整理などを進めている。
「子どもたちの思いに丁寧に寄り添っていくことができるよう検討を進めていく」と市長がコメントしています。
成長した当事者が語る
この春、〈ぼく〉は高校を卒業した。この機にゆりかごのことを語ろうと思う。159人の1人として。そして、匿名ではなく、<宮津航一>として。
「ゆりかごがあって、自分は救われた。当事者だからこそ、『ゆりかごから先の人生も大事だよ』と伝えたい」
発見されたときの状況
2007年ナースステーションのブザーが鳴って看護師らが駆けつけると
その幼い男の子は、新生児用の保育器の上にちょこんと座っていたそうです。
誰に連れてこられたのか、分からない。
青いアンパンマンの上着を着て、時折、笑顔も見せたという。
病院としては、預け入れられるのは「赤ちゃん」を想定していたのですが
航一さんは、身長約1メートル、体重は14キロ。
話しかければ受け答えもできる幼児であり、ちょっとした「想定外」の事態だったそうです。
宮津さんの現在
2024年現在、宮津さんは熊本県内の大学に通う3年生になっています。
こうのとりのゆりかご当事者として、普通養子縁組当事者として
里親家庭・ファミリーホームで育ち
現在は子ども食堂代表など多くの活動を行っている。
宮津さんは「小学生の頃から、地元のテレビ局や新聞の取材に匿名で答えてきました。
18歳になり成人の節目でもあるし、発言に責任をもって、自分の言葉で『ゆりかご』のことを
伝えていかなければならないと思ったのです」と言い公表しました。
公表後、反響の多くは好意的だった。高校時代の友人からは、
「宮津は生徒会長をしたり、陸上部で活躍したりしてきたけれど、大変な思いを抱えて生きてきたんだね」とメッセージが入ったそうです。
現在ではこうのとりのゆりかごに預けられた当事者として、後援会活動も実施しています。
まとめ
こうのとりのゆりかごが設置された当初は、設置について様々な意見が報道されていました。
月日が過ぎ、当事者が自らの声で発信ができるようになった現在。
こうのとりのゆりかごの存在が間違いでなかったことを確信せざるを得ないですね。
預けられた子供たち、つらかったこと苦しかったこともあったでしょう。
それを乗り越えて成長し、自らの運命の受け入れ活動につなげていく。
どうしてもどうしても育てることができなかった実親のことを考えると
どんなに赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」の存在に助けられたか?
どこか遠くで子供の成長を見ていてくれているかもしれない。
いつか赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」に預けられた子供たちと
実親とのつながりが、何かしらの形で形となることもあるのではないだろうか。
悩んで悩んで、遠く離れた地から一人で子供を預けに来たお母さんもいただろう。
主産後子供をそのまま預けたお母さんもいただろう。
「子供の幸せを願って」その思いはお母さんたちの心の中に大きくあっただろう。
涙ながらに子供の成長を遠くから嬉しく見守っている母の姿があることも感じていたい。
その現実を作っていくのに最大の力を発揮してくださったのは
養育してくださった里親の方たちの存在です。
里親さんも子供たちの幸せを願って、日々子供と向き合ってこられたことでしょう。
たくさんぶつかって悩んで、血縁関係がないことを告知することなど
普通の親子以上の愛のある日々を重ねてきたのだろうと思う。
血の繋がり以上の絆を感じずにはいられない。
こうのとりのゆりかごが必要か?必要でないか?を討論していた設置当時を懐かしく思う。
絶対必要!と心の中で思っていた私の思いは、
現在になってやっぱり必要だ。と強く思っています。
いろいろな問題を抱えながら今まで運営をしてくださっている
熊本市の慈恵病院には感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてこの取り組みを別の地域でも実現していく社会になることも願っています。
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